伴 奏 者


 今日は待ちに待った日。
朝早くからウキウキして、まるでちびまるこちゃんの遠足のようである。
空気も透明だし風も心地よい、なにしろ美人の女性と二人きりでドライブに行くのだ。
神々はすべて私の味方としか思えない。
少し難があるとすれば、ワイフの公認なのでスリルが無いのと、仕事で行くと言うところだ。

しかし、賢明な私は、それを悟られないように、さもめんどくさそうに家を出る。人は平和のために何かと努力しなくてはならない。

 彼女とはこれで三回日のデートである。
シャイな私は、最初のデートの時など妙に緊張して、よそ行きの言葉を口の中でモゴモゴと喋り、みっとも無かったが、今日はどうにか上がらずに話せる。
ステージの上では、割りと平気なのに、綺麗な人となるとからっきしで情けない。

 これが普通のデートと違うのは必ず予行練習があって、しかも必ず相手から催促の電話が掛かってくる。
何故なら、ほっておけば私が当日まで練習しないのを、伴奏者は知っているからだ。
なにもさぼっている訳ではなく、オカリーナ作り・ファミコン・パチンコなどの研究でいろいろ忙しいのである。
練習したからと言って、本番の時にどうなるかはカラオケではないので相手次第。
それに、本番では必ず、練習とは違った心理状態になり、打ち合わせどおりには行かない。
良く言えば、ステージの上でミューズの女神のオーラに包まれイロイロとひらめくのである。
だだ、よからぬ事までひらめき、女神に見放された場合は、演奏者本人にとっても観客にとっても悲劇と言うほかなく、心の中で「今日のギャラは半分返すべきだよなァ、しかし生活も掛かってるし」と、一応考えたりもする。

 この様な私にとって都合の良い共同作業者の条件とは、美人でスタイルが良く・知的であり・Hな話をしても嫌な顔をせず・ギャラが安くても文句を言わず・音が綺麗で・独身で・「奥様に言っちゃうわョ」等と言わず・練習では「そこ、音程が悪いわ」と言ってくれ・本番では「とても良かった」と慰めてくれる人なのだ。

今日はまさにその様な彼女で、このおじさんの心をときめかせでくれる。
こんな時は「私だけこの様な幸せに恵まれて良いのだろうか」と、思うのである。

 二時間のドライブは、非常に短かく感じられた。
心配していたピアノの調律も問題なく無事に本番が終わり、主催者が用意してくれた食事をとる。
しかし、お決まりの話題でお茶を‘濁す、主催者と一緒の食事がおいしい訳がない。
こんな時の食事は、清水の舞台から飛び降りたつもりになって、何処かのレストランて豪華にいきたいものだ。

帰り道は、隣に座っている美人のせいか、それとも満腹のせいか、途中で夢心地になってしまったので、コーヒー・ブレイクを取ることにした。

「私、先生(著者の事なのだ)はとっても素敵な方だと、前から思っていたんです」
「エーッ、冗談だろう」
「本当ですよ」
私は顔の筋肉の力が抜け、目が点になってしまった。

大変だ、無理矢理にでも次の演奏会の予定を入れ、チャンスを作らなくては・・・。すかさず、彼女の来月の予定を聞いた。

「残念ですが、その辺は結婚式の準備が・・」

新しい伴奏者を探さなければいけない憂鬱と、甘い思いが崩れ去った後の虚無感に包まれた私にとって、ちびまるこちゃんの様に、帰り道は遠く感じるのであった。



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