魔 笛 



Marc CHAGALL
  電話のベルが鳴る。

こいつは人の事など全くお構いなしである。
慌てて出れば間違いだったり、良からぬ物を勧めたり、もしくは無言の者、「○●◎」と名のればプッツンと切ってしまう。
本当に横暴なヤツである。
 だから、私が電話を掛ける時は、自分を名乗り相手を確かめ、その時電話で話している時間が相手に有るかどうかを聞くことにしているし、
掛かって来た時は、決して自分からは名乗らない、ただ「はい」と言うだけである。

 この時も、私はただ「はい」と、言って相手が名乗るのを待った:

「♪○△ロ☆◎♭?」

一瞬の事であったが、私は的確に判断した。

これは本物の外人だ。

いきなり郡山なまりの英語で電話を掛けて来る人がいるが、それとは違う。
本物のキングスイングリッシュだ!。
「い、いえす、すぴ一きんぐ」
(ロンドンの連中は、私にドイツなまりが有ると言いバカにするのだ。しかし、ローマ字読みと言わないところが少し優しい)私はすかさず答えたが、もっと真面目に英語の勉強すれば良かったと思い、オロオロして相手の話を聞いた。しかし、その外人は私が直接知っている人では無い様であった。

 彼はイギリスのロイヤルフィルハーモニーのホルン吹きで、今ロイヤルオペラと一緒に来日しており、フルート吹きの息子の為に、日本のフルートを買おうとしたら「物が無い」と、断られてしまい困っている。
しかし、そんな事もあろうと、彼の家に下宿している”HACTIKOU”(はちこう)に、私の家の電話番号を聞いて来たのだ、と言った。

はちこうとはロンドンで一緒だった。BBCを聞きながら、猪・鹿・蝶と言うカードゲームやお椀とダイスを使ったゲームをやり、一緒に往復一万円のパリ旅行に行き、列車の個室を開かない様に狸寝入りをして車掌に怒られ、パリで一泊八百円の安ホテルに泊まり、エッフェル塔の下で朝食のフランスパンを囓った仲である。

 人の困っているのを見て黙っていられない私は、早速その楽器店に電話をして事情を聞いた。

「わざわざイギリスから楽器を買いに来たのに、楽器が無いなどと追い帰す事はないだろう。
それに、あの人は私の知り合いなのだ」

「楽器はあるのですが、全部予約が入っているんですよ」

「分かっている、忍術を使え」と、言って、忍術の使い方を教え、楽器店に押し掛け、困るのもお構い無しに強引に買ってやった。
良いことをすると気分が良い。ハハハ・・。

 喜んだホルン吹きは、私を指揮者のコリン・デイヴィス氏に会わせた。
彼は、私をフルート吹きとしてこのオーケストラに迎え入れる様に、等と、素敵なことは言わず、事の経過を手短に喋った。
すると、コリン:デイヴィス氏は、私に対して極めて丁重に礼を述べ「もし暇が有るのなら、是非今日の魔笛を聞いていって欲しい」と、言い、わら半紙に赤鉛筆で数字を書きそれを引きちぎって渡してくれた。

こんな紙切れでロイヤルオペラが聞けるのならば、何万円も出さなくても良いし、それに何枚でも自分で作れる。
私の頭は、良からぬアイデアで一杯になってワクワクした。
しかし、受け付けの近くまで来ると、本当にこの紙切れで入場出来るのか不安になってきた:

へのへのもへじ

 「お客さん、悪い冗Lはやめて入場券を出して下さい」等と、言われ、周囲の冷ややかな視線を浴びながら、恥ずかしい思いをするのではないかと・・・・。
私は誰か他にもこの様なハンドメイドの券を持っている人はいないかと、神に祈るような気持ちで周りを見回したが無駄であった。

 私は覚悟を決め、心の動揺が顔に出ない様に注意をし、わら半紙をヌウーと出した。
すると、信じられないことに、受け付けのおばさんは「あっ、はいわかりました」と、言って、ちゃんとした入場券を くれたのであった。
それは、椅子も無いロイヤルアルバートホールの天井桟敷の様で無く、今まで買ったことも無い様な良い席で、周りには、プリティシュカウンシルの人や、降り番のソリスト、それに有名評論家等であり、その様な人々の中に見事にマッチした私は、心ゆくまで魔笛を楽しんだのであった。


写真:モーツアルト・魔笛(シャガール、リトグラフ、メトロポリタンオペラ、ポスター)


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