kenさんのよがり笛2 2003/07/04    第 121号
     





テレビのコマーシャルで
「歩いてるジャン」と言うのが有る。
先に手を上げて挨拶する犬がでて来てその後に
後ろ足だけで歩いている犬が携帯の動画で写るあれである・・。

少し前に犬の芸をやっている番組も有った。
どの犬も可愛くいろんな芸をやるのである。
しかし我が愛犬は飼い主にとっては可愛いのだが何の芸も無い・・・
これは飼い主の怠慢かもしれん?

早速、散歩前に庭を走りまわってウキウキしている所を
狙って訓練を始めたのだ!
両前足を持って後ろ足で立つ訓練だ!
しかし、慣れ無い事をやると不安らしく。
思いっきり怒るのだ!

気をそらす為に話しかけながらそれをやると
吼えないし何とかやってくれるが、
完全にこちらにもたれ掛かって立つ気が全く無いのだ!
根本的に何かがオカシイ?

すっかり忘れていたが、
我が愛犬は30〜40センチぐらいの柵を越えられないのだ。
おかげで庭から脱走しないで遊んでいてくれるのだが、
どうもその手の才能は無いらしい・・。

でも、そんな事を言うと気を悪くするといけないから
本人に黙って最近の朝の日課にしている!?




          不思議  



音楽に言葉は必要無い・・と思うのだが、
中には詩が重要であると思う人も多いみたい。
これは以前にこの「よがり笛2」に取り上げた話でも有る。
本当に難しい話題だ



音楽が詩的であったり
詩が音楽的であったり

その境目が存在しない場合もあるかもしれない。

古典的には歌としての音楽と詩の融合がある。

しかし、普通の場合それは音楽と詩に分離できる。

音楽が重要であるという人は詩が無くても音楽だけで感動できる。
詩が無くても音楽だけで十分だからこそ音楽では無いかと思う。

その十分な音楽に詩が入る事に依ってさらに
内容を理解する効果が増すのであろう。

ここで問題なのは詩が無かったからと言って
その音楽に感動しないと言う事は無いのです。

その代表的な例として
外国語の曲を聞いたとき
私達は感動しないでしょうか?

一般に英語は少し解るでしょうから
ドイツ語・フランス語・イタリア語等の歌を聞いて
どうしても言葉の意味を知りたく成るでしょうか?

その言葉の内容を知らないままその曲を理解してしまいますよね。
それは、それで十分だからです。


中と半端に知っている言語の曲を聞いたとき
その中と半端な知識によって
直接的な音楽の理解が阻害される事も有ると思うのです。

この事からも詩(言葉)が本当に必要かと思ってしまいます。


有名なオペラを原語で聞くと内容は何も解りません、
何となく知っているあらすじや内容は実に幼稚極まりないのです。

本当にたわいもない内容で、
真面目に考えたら本当に馬鹿馬鹿しいとしか思えません。

しかし、何故か知りませんが毎回感動するのです。
ドイツ語やイタリヤ語なんて知りません。
多分一緒に聞いている人のほとんどは解らないのでしょう。

でも大いに感動し、満足した顔でホールを後にするのです。
ここに音楽の持つ不思議があります。


ね、音楽は純粋に音楽だけで感動できるからこそ
音楽では無いのでしょうか?

それがどうしてなのか・・本当に不思議ですよね!




■先々週、つまり二回目の「おがわオカリーナ」販売の時に、
ものすごい勢いでアクセスがありました。
このマガジンはマグマグから自前のページに場所を変える事によって。
読者は半分に減りましたが、
何故かそのアクセス数は倍ぐらい多いのです。

ふしぎだぁ!


■私のオカリーナをお譲りするのは、通常の商取引と少し違っており、
優先順位を次の様に決めさせて頂いております。

私にオカリーナを習いたい方、
このホームページでOcarinaをまじめに勉強される方、
「よがり笛2」を購読して頂いている方、
直接取りに来られる方。


それ以外はお断りすることも有る・・・なんて ワガママかな?!


■さて、今回も「おがわオカリーナ」をご用意させて頂きました。

皆様を優先する為に前回とURLを少し変えました。
売れ残っていたらINDEXには日曜日に発表する予定です。


いつもの通り下手な電気ピアノの音と共にいい加減に吹いています。
あはは
もちろん冷やかし大歓迎ですよ・・・。


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