kenさんのよがり笛2 2003/10/03    第 134号
     





バウリンガル?と言う機械がある。
一度お借りして付けてみた・・それなりに面白かったが、
やはり、飼い主の方が何がしたいのか・・何が言いたいのかはわかる。
・・と言っても経験で想像が付くだけで本当の所は解らないかも。

これは犬の言いたい事が解るか解らないか・・・なのだが、
こちらの言いたい事が犬が理解できるかどうかは
そのバウリンガルでは翻訳できない。
犬の言いたい事を翻訳するだけなのである。

いっその事その翻訳機も作って売り出したらどんな風に成るのだろう??
そうしたら犬はヘッドホンでもするのかなぁ?
イヤーホンでは無理かも・・・・・。

散歩の途中に暇だからちょっと馬鹿にして「おばかー」と呼んでみる。

嬉しそうに振り向くではないか・・???
試しに「お」を取って「ばかー」と呼ぶと・・・知らん顔?!
それではと「アホ」とか「まぬけ」と呼んでみるが、反応しないのだ?! 

やはり「おばかー」では反応する?!
もちろんいつも呼んでいる名前では反応する。
なんで「おばかー」なのか??
しかも本当に嬉しそうに振り向くのだ・・。

散歩は終わりこれ以上実験を続ける事が出来なかった!
しかし、貴重な実験であった。
そして、これは翻訳機を作る時に難しい問題に成るかも?

あはははは



          音色3  



また音色の話かぁ・・。

このよがり笛2のタイトル(内容)は200号まで決まっているので、
本当に困る事も有る・・・今日もそうかもしれん!?


楽器を作っている人はただ演奏をやっている人より音色に敏感に成る。
それは、以前にも言ったが、楽器の音色を決める要素の一つである
楽器本体を作るからなのです。

音色は楽器作りの永遠の課題なのです。
だから、いつでもどこでも考えているのです。
本当の事は誰にも教えません。
教えなくても解る人は解るはず・・・ははは

今試作しているオカリーナも中々良い結果が出そうなのです。
以前のものより音色の変化を大きく求めているのです。

たぶん、誰が聞いても解るはずである・・・?
(作るのは解らなくても、聞くのは誰でも判ります)
今度の日曜日にチョットした演奏があるのでそこでためしに使ってみる。
その演奏を聞く予定の方はお楽しみに。

だからここでどの様に変化したかに付いては語らない様にします。

・・・と言うと、
遠くで聞きに来られない人に悪いのでチョット説明しておきましょう。

全体のフォルムは今までの物と同じで変化は有りません。
しかし、音色は確実に変えました。
求めた音色は、銀のフルートと18金のフルートの違い
でしょうか???

解るかな?  「解らない」・・・でしょうね。

音色を言葉で理解させようとするのは無謀ですが、
あえて言うと、音に重さが有り吹きやすく成っているんです。
・・・あわてないで下さい・・・まだ、試作品です。

総合的な判定はまだ下せません。



■・・・・と、これは、楽器の持っている固有の音色の話。
実際に吹くと演奏者の持っている音色が加わります。
それに、演奏している会場の音色・・・。
前回お話した気温や湿度も関係するでしょう。
ひょっとしたら気圧も・・・??

これらがミックスされ一つの音色が作られます。
厳密に言えば同じ音色は二度と無いはずですが、
そこまで解る人もそんなにいないはずです。


■その中の演奏者の持っている音色について考えると、
これは難しい・・と言うか・・言って良いのかなぁ??

残念だけど、音色はその人固有のものであるかもしれません。
もちろん少しづつ教える者の希望する方向に進んでいきますが、
根っこに有るその人の持っている音色に対する感性はたぶん変わりません。

音色の感性が素晴らしい人は上達が早いです。
その様な音色に対する感性を持っていると思われる人は、
私が今まで教えた人の中でもホンの数人なのです。

だから、少しぐらい練習して大して良く成りません。

(誤解しないで下さい。普通に聞いて良い音だと誰もが感じる音には
 誰もが成ります。ここで言っているのはもっと先の話なのです)


たった一つの良くなる方法は良い音の人の音楽を聴くことですが、
問題は・・・それを吸収する才能が有るかどうかです・・・。




■ 感想では有りませんが、楽書き帳 から・・・。


うさこ さんの投稿です 【2003年10月02日(木)】 [No:767]

下のレス755に「自分を大切に」と書きましたが・・(長くなりそう!)

客観的に見てどんなに価値がなさそう!だとしても、
己にとって「自分」ほどかけがえのないものはありません。
私が自分を大切にしなかったら、一体誰が大切にしてくれるのでしょうか?
また、たとえ誰かが私を認めてくれたとしたって、
肝心の私が自分を認められなければ何になるでしょうか?

私は初心者で、まだ上手に吹けません。
倦まず弛まず練習すれば少しずつ上手くはなるでしょうが、
他人より特に抜きん出るということはないでしょう。

将来、演奏会に出て観客に感動か何か(癒し?)を与える?
・・たまたま何かの拍子で「心を動かされた」という人もいる「かも」
しれませんが?あまり期待していません。
プロの方なら聴衆に「聴かせてあげて」何かを与えるべきでしょうが、
私の場合は「聴いていただく」機会はむしろ自分の練習目標のひとつでしょう・・・

私は、自分のためにオカリーナを吹いています。
なぜかオカリーナが好きでたまらない自分のために。
そして、大切で、最もごまかせない自分のために。
だからこそ、気後れをはねのけて「おカリーナ」を使わせていただき、
日常の仕事を果たしながら、できるかぎりの練習・努力をします。
そして、その時その時の精一杯の演奏で、自分を満足させます・・

今日、キャッチボールをしていて、友人の喉元に大きな傷を見つけました。
自分で果物ナイフを刺したそうです。
幸い、何針か縫うだけで済んだそうですが・・・
かけがえのないはずの自分を消そうとした、彼女の追い詰められた気持ちが
私の胸にも突き刺さってくるようでした。

しばらくボールによる無言の会話を交わしたあと、
私は彼女を静かな池のほとりの緑陰に誘い、まず「ふるさと」を吹きました。
小さな声で唱和した彼女は「贈る言葉!」などと矢継ぎ早にリクエストしては
オカリーナに合わせて歌います。たまたま吹けてよかった・・
その歌声はだんだん大きくなっていきました。

彼女は「本当に楽しかった。またオカリナ聴かせてね」と言ってくれました。
私は彼女にオカリーナで何かのメッセージを贈ったのではなく、
「音楽を楽しむひととき」を贈ったのです。
彼女は私の演奏をきっかけにして「自分自身が歌う」ことで楽しんだのです。

コンサートを黙って聴いているように見える聴衆も、きっと心の中で「自分が」
歌っているのでしょう。それを心地よくリードできる演奏・・そんなのができたら、
自分も他人をも幸せにできるのでしょう。

さ、明日も吹きまくろうかな!


これは 楽書き帳 に投稿された文です。




我が家の玄関には廊下がある。
宅急便など受け取るのにスリッパなどはきかえるのが面倒だから
げた箱の前に小さな廊下がある。

1年ぐらい前に鹿沼の木工製品を売っている所で買った。
中々評判が良かったのだが、
1年もたつと白木が少し汚れてきた。

ニスを塗りたくないなぁ・・と思っていたが、
以前に使っていた柿渋があった。
これは、オカリーナに塗った残りだ。

その上に漆でも塗るか・・・あははは
かぶれやすい体質だからやめよう。
渋柿でなく柿渋・・まだ一杯有る。



Copyright (C)All Rights Reserved. --  mail