演奏上の表現力について

有る曲(音楽)に対する演奏者による表現の幅や種類の差がありますが?


証人A

 おっしゃる通りですが、ここで問題になるのは”聞く人”でしょうね。

演奏者?
良いのです。どうせ勝手な演奏をしているのですから。

聞く人にも色々な人が居るのです。だから色々な感想が有るのでしょう。



証人B

難しい質問ですねぇー。
演奏に許される表現の範囲と言うものは何となくあります。
意外に厳格に有ります。
・・と言っても法律や条令にはありませんが、
あるのは習慣でしょうか?様式でしょうか?或いはその全部でしょうか?
とにかく有ります。


独りよがりの演奏との区別は設定が難しいところです。
何故なら聞く人にも個人差や地域差それに時代に依る差、
環境による差等が考えられます。
つまり文化の違いに依った差が大きいと思います。


それを乗り越えた普遍的なモノが有るかどうかについては解りません。



証人C

演奏はまず正確にするのが基本です。
それに、作曲者の意志以外のものを演奏に持ち込むのはとんでもないことです。
心地よいだけで良いのでしょうか? 
それでは安物の音楽ではないのでしょうか?



証人D

料理に当てはめて考えて下さい。
レシピはあくまでレシピです。
大勢で同時に作るとどうなるでしょうか?
条件が同じでも色々なモノが出来上がり評価もまちまちでしょうね。


証人E


 言語で考えて下さい。
英語を話す国。ドイツ語を話す国。フランス語を話す国。
同じ言葉をしゃべっても、全然違った言葉に聞こえます。
もちろん意味はある程度通じるのでしょうが・・・。
これは日本の中でも有りますね。
秋田弁、東北弁、沖縄、江戸弁?とにかく同じ日本語の中の言葉です、
沖縄の方言で津軽の心は歌えないでしょう。



証人F

ウイーンの人のモーッアルトはドイツの人のモーッアルトとは違います。
モーツァルト(Mozart)は、フランス語では「モザー」
個人による差もあります。時代による差もあります。
どれが本当のモーッアルトでしょうか? 
ドイツに行っていた(留学していた)人に言わせると
(ある演奏をさして)「あれはモーッアルトではない」等と、恐ろしいことを言います。
私にはそんな神みたいなことは言えません。(もちろん神様はそんな事は意はないでしょうが・・)
そんな事を言うヤツにはタイムマシンを使って実際のモーッアルトの演奏を聴かしてやりたい。
その発言がその人のどれだけの経験と知識によって発言しているの?
(あんたはモーッアルトを知っているのか?友達か?一緒の時代にいたのかと聞いてみたい)
そして結局・・あんたはモーッアルトではないでしょうと言いたい。



証人G
簡単ですよそこにあるのは運動の法則に則った音楽です。
不自然な動きでなければ気持ちよく聞けます。
しかし、わざとそれを破るワザを使うとおしゃれです。
ただし使いすぎると訳が解らなくなりますよ。




判決評定は
あなた自身でお出し下さい。


『・・・・・・突然回答者が日頃のうっぷんを晴らしてしまいました。
お見苦しいところをお見せしました・・・。ははは』

音程の揺れ・・と有りましたがヴィブラートの事でしょうか?それとも音楽的音程の事でしょうか?

ヴィブラートについては表現に依る振幅及び周期の変化は基本的に次のように成ります。
【クレッセンドの時は振幅及び周期は段々多くなる。が基本】

音楽的音程に付いては他のQ&Aにて回答済みです、それで理解出来ない場合は専門書を読んでも無駄です。
リズムの乱れの幅??これはちょっと理解出来ない言葉ですが、アゴーギグの事でしょうか、バロックに於ける記譜法とリズムの差でしょうか?

アゴーギグとすれば、運動の法則からはみ出さなければおかしくは聞こえません。
バロックの演奏解釈の事ではないでしょうが、私に聞かないで下さい・・・ついては専門書をどうそ。


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