M子さん



トンボ取り
  駅を降りると、キラキラと太陽が輝き、電車の中で居眠りをこいていた私にはちょっと眩しかった。

今日の会場は駅前の某、大ホールである。

駅前のホールと言っても、パチンコや、いかがわしいものではなく、れっきとした音楽ホールである。

今日の仕事はソプラノの伴奏で、主役でもなく割と気楽なのだ。
とは言っても、ソプラノとフルートの組み合わせは悪く、妙に気を使い余り好きではない。

ホールに着くと男性は一人なので、だだっぴろい楽屋である。

「けんちゃん、来てるの」

今日のソリスト、ソプラノのMさんである。
さすがの私も照れくさいので、是非やめてほしい呼び方であるが、Mさんは誰に対してもその様に呼ぶ。
私などはまだましである。友人などは「ーーちゃん」と、言われながらもろにキスをされ、その上しっかりと抱擁されてしまい、立ち直るのにしばらく時間が掛かってしまったのだ。
もっとも、肥満体の私を抱擁する事によって、両方の質量が合計され、ステージの一点に掛かる加重が増え・・・、想像するだけでも恐ろしいことになるので、さすがの彼女も出来なかったのかもしれない。

「おはようございます」
芸能界と同じで、この業界では昼でも夜でもこれである。
「リハーサルしましょう」
私は楽屋の椅子をベッドの様にして、居眠りする所だったのに残念だ。
仕方がないので、ケースから楽器を取り出し、確かめる様に音を出してからステージに向かった。
二干五百名収容のこのホールはさすがに大きい。
彼女は演出にもだいぶ凝る方なので、ホールの係員との打ち合わせ大変だ。
しかし、ここの係員は田舎の某文化会館の様な横柄な態度も無く、てきぱきと進んだ。

 リハーサルの途中、ある曲でMさんは打ち合わせとは違って、突然モルト・ピアニッシモで歌い出しだ。
私は伴奏が高音域で、音色が合わないような気がした。
「すいません。楽器を取り替えていいですか。ここは金の楽器より銀の方が音が柔らかくてイメージに合うと思うのですが」
「あら、楽器はどうするの」
「スペアーで持って来た銀のフルートが有ります」

しかし、Mさんは「金のフルートにして、その方が華やかでいいわ」

「・・・・・・・・・・ゲッ。」


 本番が始まり、アナウンスのお姉さんがソリストの紹介をした。

「Mさんは学芸大学を卒業され・・・・」

私はアレ・・と思っていたら、Mさんは舞台の柚ですかさず小声で言った。

「なに言ってんのよ(イラタメンテで)。冗談じゃないわ、芸大だわョ」
別に学歴を聞いてもらうわけではないので、どうでもいい様に思う。
私なんかはよく名前さえも間違っているし、田舎のガッコしか出ていないので、学芸大なら願ってもない。

Mさんはステージに出ていくと、突然打ち合わせにないメンバー紹介を始めた。
「こちらは(アマビーレで)、フルートのOさん(ドルチェで)。
そしてピアニストは、私と同じ東京芸術大学(ここの所はフォルテ・ェ・ジュスタメンテ)を卒業されたKさん(再ぴアマビーレで)です」

 それにしても巧く言ったもんだ。演奏会の後、私とピアニストは、中華料理店で老酒を飲みながら、結局Mさんの事を尊敬してしまったのであった。



おいしい餃子 知ったかぶりして使用された音楽用語の解説

イラタメンテ・・・・怒ったように
モルト・・・・・・・・非常に
ピアニッシモ・・・・ごく弱く
アマビーレ・・・・・愛らしく
ドルチェ・・・・・・・柔らかに、優しく
フォルテ・・・・・・・強く
エ・・・・・・・・・・・そして
ジュスタメンテ・・・正確に、はっきりと
ゲッ・・・・・・・・・・驚き、呆れた様子(ウソ)

(私自身、訳が分からなくなるので、これ以上の使用を控えた)




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